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    東京湾の姿を伝えるため、ヘドロの海に40年間潜り続けたフォトグラファー・中村征夫インタビュー

    2015.02.25 Wednesday

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      東京湾の姿を伝えるため、ヘドロの海に40年間潜り続けたフォトグラファー・中村征夫インタビュー 

      ヘドロが何層も積み重なっているという東京湾の海中に、40年もの間潜り続け、そこでたくましく生きる生物の姿、共に暮らす漁民の姿をライフワークとして撮り続けるフォトグラファー・中村征夫。高度経済成長期と呼ばれた時代、工業廃水や生活排水が垂れ流され、ヘドロの海、死の海と呼ばれた東京湾に、なぜ彼は魅入られたのか。東京湾の生き物たちから何を学び、美醜が混在したありのままの生き物たちの姿を捉えた写真で何を私たちに訴えるのか。六本木のフジフイルム スクエアで開催中の企画写真展『ライフスケープ「森と海―すぐそこの小宇宙」』を控え、プリントチェックを行なっていた中村にじっくりと話をうかがった。

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      ■初めて東京湾の海水に顔をつけたときは、皮膚や唇がビリビリ痺れて、「潜ったら死ぬな」と思いました。
      ―中村さんは長年、東京湾の海中に潜り、ヘドロの中で生き続ける生き物たちを撮り続けていらっしゃるそうですが、そもそものきっかけは何だったんですか?

      中村:31歳のときですから……今から40年近く前になりますね。理由はいたって単純で、江戸前の魚が大好きだったから。東京湾は埋め立て開発のために漁師たちが漁業権を放棄したエリアが多いから、自分で潜れるようになれば江戸前を獲って食べられるなと思ったんですよ(笑)。といっても、素人に易々と捕まるようなノンキな魚はいませんから、ちょっと湾内を覗いてみたいなというくらいの気持ちでした。

      ―40年前……、高度経済成長期の東京湾の海中というと、工業廃水・生活排水、ヘドロまみれというイメージですが、実際は?

      中村:それはもう「潜ったら死ぬな」と思いましたよ(苦笑)。初めて潜ったときは、お台場に急傾斜の石垣があって、近くの松の木にロープを縛り付け、ボンベを背負ってロッククライミングの要領で岸まで降りていきました。そこから先は水深6メートルくらいの浅瀬が広がっていて、ヘドロが何層にも積もり重なっている。気を抜けば身体はヘドロの中に沈み込んでいくし、水中も浮遊物が多くて視界は極度に悪い。浅瀬の先にはもう一段深くなっているエリアがあるのですが、そこは航路なのでダイビングは危険。下手をすれば、やや深い海中は無酸素状態になっていたかも知れませんね。

      ―そんな海に生き物がいるなんて、神秘的でもありますね。

      中村:そうですね。初めて東京湾の海水に顔をつけたときは、湾に流れ込んだ化学薬品のせいで皮膚や唇がビリビリ痺れて、すぐに顔を上げてしまいました。当時の東京湾は工場廃水も生活排水も垂れ流し状態。きっとこの水を飲んだら死ぬ、これはヤバイと思って帰ろうとしたんだけど、一瞬、目の端に小さなイソガニが見えたんです。当時、東京湾は「死の海」と呼ばれていたから驚いて、カメラを構えようと腹ばいになりました。すると、イソガニがぴょーんとジャンプして、僕に向かってハサミを広げて立ち向かってきた。瞬時に小さいカメラでバチバチ接写してたら、わずか3〜4センチばかりのイソガニが、次から次へ何十匹もレンズに向かって襲いかかり、ぶつかってはヘドロの上に落ちていきました。

      ―ヘドロの世界に突然現れた中村さんに、戦いを挑んできた(笑)。

      中村:さらに横を見ると、マハゼがキレイな腹を見せて死んでいて、その死骸を撮ろうとヘドロに手をついたら、モゾモゾとこそばゆい感覚が。何かと思ったら、アラムシロガイがうようよと湧いてマハゼの死骸に群がり、歯舌(しぜつ)を内蔵に突き刺して栄養を吸い取り始めました。他にもイッカククモガニという大小のカニの群れ。ヘドロまみれの大きなオスが、小さなメスをおんぶするように群れながら、僕を睨みつけ、襲いかかってくるんです。東京湾は「死の海」なんて言われているけど、僕が見た世界はまるでアフリカのサバンナ。「こんな弱肉強食の世界がお台場で展開していたとは!」と驚きました。

      ―カニたちが襲いかかってくるというのは、何か理由があったんでしょうか?

      中村:翌日現像したフィルムを見てみると、イソガニはみんな卵を抱えていたんですよ。帰化生物のイッカククモガニも繁殖力が非常に高くて、年中交尾しているんです。アラムシロガイしかり、ヘドロまみれの死の海で、こんなにしたたかに生きているものたちがいるなんて、大スクープものでした。

      ―その最初の強烈な体験があって、東京湾を撮り続けようと決められたわけですね。

      中村:写真1、2点だけで発表するのはもったいないので、東京湾の至る所に潜り、多くの漁師たちの漁船に乗り、沿岸で暮らす様々な人々も取材しました。それをルポルタージュ『全・東京湾』(情報センター出版局、1987年)として発表するまで、約10年かかりましたね。それ以来、今でも東京湾に潜り続けています。

      ■生き物というのは本当にしたたかで、みんな生き残る術をちゃんと持っていますよ。
      ―東京湾は、臨海副都心や幕張新都心の開発が進み、超高層マンションや大型ショッピングセンターの建設、東京湾アクアラインの開通など、現在も発展しているエリアです。中村さんが強烈な体験を持って接した東京湾は、海中から見てこの40年、どのように変化しているのでしょうか?

      中村:開発が始まった時点で足の速い生き物は沖へと逃げたでしょうが、砂地や岩場の定棲生物は、どんどん上からコンクリートを流し込まれて死ぬしかありません。僕の大好きな生き物にギンポという可愛らしい魚がいて、しょっちゅう浦安に通って撮っていたんですが、あるときそこが立ち入り禁止になって、あっという間に埋め立てられてしまった。……ギンポたちは、みんな下敷きですよ。

      ―開発が進むたび、東京湾で暮らす魚が何かしら減っていくことに……。

      中村:ただ、生き物たちというのは本当にしたたかでね。とくに外来種たちに顕著だけど、みんな生き残る術をちゃんと持っていますよ。東京湾アクアラインが着工されたときも環境への影響が指摘されていましたけど、建設中に潜ってみたら、できたての橋脚の上から下まで、ユウレイボヤの大群が覆い尽くしていました。

      ―東京湾の水質についてはいかがでしょうか。近年はエコロジー運動の高まりとともに、水質改善への取り組みが積極的に行なわれている印象がありますが。

      中村:実際は……悪くなっていると思います。下水道の整備は進みましたし、生活排水、雑排水をキレイにしてから海に還そうという動きも高まっています。でもね、最近首都圏はゲリラ豪雨が多いでしょう? いくら浄水場の数が増えても、ゲリラ豪雨で1時間に30ミリも50ミリも雨が降っちゃうと、大量の雑排水が海に流れ込んでしまう。そのせいで、生き物が吸収しきれないほど大量のプランクトンが発生して赤潮を発生させたり、それらがどんどん沈殿してヘドロが増える一方なんです、沿岸域は。

      ―海水はけっしてキレイになっていないんですね。

      中村:そう、まずなんとかしなければならないのは、家庭から出る雑排水です。湾岸地域に住む人はどんどん増えている。住宅開発が進めば当然、東京湾の汚れはひどくなります。

      ―2020年の『東京オリンピック』開催も、東京湾の環境問題に直結しそうですね。

      中村:お台場海浜公園でトライアスロンを開催するという案も出てましたね。どうやら他の候補地になりそうですが、お台場の海は菌だらけという報道もあるみたいで、大丈夫かな? と思ってました。状況はね、そう変わりない。

      ―東京湾において、海中の環境は良くなっているわけでもない。

      中村:東京湾に限ったことではないですよ。沖縄の海でも珊瑚に原因不明の腫瘍が発見されています。自然界にはない台所やトイレの汚水にはびこる菌が海に流れ出し、それを微小な動物性プランクトンが吸収する。そのプランクトンを珊瑚が長い時間をかけて吸収し、腫瘍となって出てきているのでは、と考えています。でも、地元の人ほどそれを気にしていないんです。観光資源であるにもかかわらず、「珊瑚はなんぼでもあるさー」と言ってはばからない。

      ―いずれ珊瑚礁が壊滅するかもしれないという危機感はないんでしょうか?

      中村:あまりないみたいですね。実際に潜らないとわからないから。沖縄の人たちは昔から、泳がない人が多い。そういった変化の兆しに気づくのは、本州から行く熱心なダイバーだけなのかもしれません。

      ■海は広いから、少しくらい汚しても大丈夫だと甘えているのは大きな間違い。海に流れた汚れはどんなに微量でも、プランクトンに蓄積され、魚介を食べる私たちのもとに返ってきます。
      ―他の日本各地の海はいかがでしょうか? 東日本大震災後の東北などは。

      中村:海の生き物はどこに生息していてもしたたかです。何より危機管理能力が人間とは桁違いです。台風や津波が来ると察知すると、多くの生き物たちはいち早く避難します。ごく浅瀬に棲んでいて津波にさらわれたとしても、どこかで子孫は残り、あっという間に蘇る。それくらい逞しい。だからね、自然生物に対して人間に何ができるか? などと考えるのは、じつは不遜なことなんですよ。

      ―人間が手を尽くして、生き物を守ろうとすることも?

      中村:人類の歴史なんて、何十億年も積み重ねてきた生物界の歴史において「たかだか」なものですからね。上から目線ではいけない、自然に学べと。弱肉強食の世界にしてもそうです。それが自然の摂理だから、可哀想と思ってはいけないんです。絶滅種を保護して自然に還すような活動はまた別ですが、自然の現象に対して人間がとやかく言うのは筋違い。テレビ番組で肉食動物が補食する映像が流れるたびに、「いじめを助長する映像を流すな」とクレームをつける人が増えていると聞きますが、そういう考え方が一番いけない。とてもおかしな話です。

      ―では、先ほど話に出た東京湾、沖縄の環境破壊を一例としても……われわれは自然に対して何をすればいいのでしょうか?

      中村:それはね……もし生き物たちが話せるとしたら、こう言うと思いますよ。「われわれのために何もしないで欲しい。何も考えないで欲しい。あなたたちが海を汚したら、その中で生きるしかない。だからせめて、これ以上汚してくれるな」と。生き物たちは無言で訴えてますよ。じゃあ、何ができるかというと、自分の身の周りからでしょうね。自然界に異質な生活排水をなるべく流さない。界面活性剤を使った洗剤を使わない、我が家の台所から汁ものやおかずを流さない。僕は食べ終わった食器は、着られなくなったTシャツを細かく切った布やトイレットペーパーで拭いてから水で洗うだけです。

      ―そういえば、以前は生活排水の汚染について声高に報道された時代もあったと思いますが、最近はそういう声もあまり聞かなくなりましたね。

      中村:エコだエコだと言いながら、テレビでは相変わらず、1滴たらすだけで油汚れが落ちる食器用洗剤のCMがガンガン流れていますからね。おそらく人間は……海は広いんだから、少しくらい汚しても大丈夫だと甘えてるんでしょう。大量の海水が汚れを薄めてくれるんじゃないかと。でもそれは大きな間違い。海に流れた汚れはどんなに微量でも、それを栄養とするプランクトンや、プランクトンを食べる生き物のカラダに蓄積され、魚介を食べる私たちのもとに必ず返ってきます。放射性物質だってそう。それを忘れちゃいけないですね。

      ■美しいものは美しく撮る、でも汚いものもありのままに撮りたいんです。美醜を問わず、瞬間瞬間のドラマをとことん捉えたい。それが生と死の世界であり、弱肉強食の世界。
      ―先ほど中村さんは、海の生き物に対して私たちがすべきことは、これ以上、生活排水で海水を汚さないことだとおっしゃいました。しかし、それを私たちがリアルに感じ、行動するためには、「死の海」と呼ばれていた昔と比べて、東京湾の状況があまり好転していないという現状をちゃんと知らないと、そういう心も生まれないですよね。

      中村:そう。状況を知らない、知られていないということが一番問題なんですよ。なぜ東京湾、水中を撮り続けているのかにもつながりますが……僕は美しいものはそれなりに美しく撮る、でも汚いものもありのままに撮りたいんです。ネイチャーフォトというと、都合良く美しいシーンだけを切り取りがちですが、僕はそうしたくない。美醜を問わず、瞬間瞬間のいろんなドラマをとことん捉えたいんです。それが生と死の世界であり、弱肉強食の世界。どんな生き物もオスとメスが出会って、子孫を産んで育てて、生死の狭間で命をまっとうしながら種を拡大していく。それは人間の暮らしと同じ。そのありがたさを感じ、海をもっと身近に感じてもらいたい。海の生き物は私たちの貴重な栄養源になっているんですから。

      ―そのありのままの海の姿が、中村さんが東京湾を撮影し続けることで訴えたいことなんですね。

      中村:そうですね。海中写真は船を出し、ダイビングの道具を揃えて撮りに行かなければならないから、陸上を撮るよりもお金がかかる。海中生物の生態もあまりよく知られていないので、潜ったところで狙ったものが撮影できる保証もない。実際、1枚も撮れないときも多いです。時間と手間とお金がかかるから、テレビのドキュメンタリーにもなりにくい。みなさんに状況を知らせる手段も少ないんです。

      ―だから中村さんが撮り、伝えていく。ネイチャーフォトが伝えるものは、私たちの暮らしにもじつは密接に関わりがあるということですね。その伝達の1つの試みとして、今年1月に『ライフスケープ』というネイチャーフォト雑誌が創刊され、中村さんの写真と琵琶湖周辺の里山撮影をライフワークにしているフォトグラファー、今森光彦さんとの対談が掲載されています。

      中村:はい。海外と比べても日本は、ネイチャーフォト系の雑誌が次々に廃刊し、作品を発表する媒体の減少だけでなく、写真集すらも出しにくくなっています。そんな折り、『ライフスケープ』のように自然の在り方を訴える雑誌が登場したのは、若手フォトグラファーにチャンスを与える意味でも意義がある。出版不況の折に、よく頑張って出してくれたなと思いますよ。

      ―その『ライフスケープ』で対談をされた今森光彦さんとの二人展『森と海 すぐそこの小宇宙』が、2月20日からフジフイルム スクエアで開催されています。中村さんの東京湾の写真と今森さんの琵琶湖周辺の森の写真というライフワーク同士のセッションによって、多角的な視点から日本の自然を考えることができる写真展です。

      中村:どうして僕が、東京湾やその沿岸域にこだわって撮影しているのか、それは人々の生活と海の生命が混じり合う場所だからなんです。東京湾の埋め立てしかり、沿岸域というのは最も環境が変わりやすい場所。さらに、最もプランクトンが溜まりやすく、海水の栄養分が濃い。だから生き物の営みも豊かで種類も多く、人々の食生活に与える影響も一番強い場所なんです。森から海へと大気と水の流れが絶えずあり、畑の恵みと海の恵みの両方を育んできたからこそ、人は豊かに暮らすことができる。最も守らねばならぬ場所は里山と里海。その二つの現状をみなさんに知ってもらいたいと思いますね。

      ―『森と海』展では、中村さんがこれまで撮りためてきた東京湾のインパクトあふれる写真が拝見できるそうですね。

      中村:僕が40年前から見てきた、ありのままの東京湾。ヘドロの海でたくましく暮らす生き物たちの変遷も、ごく一部ですが知っていただけたらと思いますね。

      ―その東京湾での撮影は、今後もライフワークとして続けていかれる?

      中村:もちろん。今でも真冬にしか撮れないギンポの子育てを撮ろうと、通い詰めていますからね。先ほど話に出た『全・東京湾』は1980年代に出版されたルポルタージュでしたから、その後の写真も含め、40年間の作品をそろそろ写真集にまとめたいんですが……。

      ―ぜひ拝見したいです、写真集。

      中村:ギンポもそうですが、まだ撮れていない写真があるので先は長いかな? 納得がいく写真が撮りきれるまで……僕は東京湾に潜り続けることでしょう。でも、もう年だし、水中写真はなかなかしんどいものなので、寿命が来ないうちには完成させたい(笑)。ますます気合いを入れなければね。